オランダ人技術者デ・レーケは「これは川ではない、滝だ」と叫んだと言われるほど急流の常願寺川。しかも上流にはもろく侵食に弱い立山カルデラが控えており、そこには安政5年の鳶(とんび)崩れをはじめ、たび重なる山崩れにより、今も2億立方メートルもの土砂が残っています。この土砂は一気に流れ出すと、下流の平野を約2mの厚さで覆ってしまう程の量なのです。常願寺川の砂防は、新たな山崩れを抑えるとともに、下流への土砂の流出をコントロールして、災害を防ぐことを目的にしています。
常願寺川の砂防事業は明治39年(1905)富山県が着手しましたが、災害続きで予算的にも手に負えず大正15年(1926)国の直轄事業に移されたのです。それからおよそ70年、今も砂防にたずさわる人々の涙ぐましい努力が続けられています。下流の富山平野に人が集まり、繁栄すればするほど、上流における砂防事業の重要性がますます高まってきているのです。
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